こんにちは、おふとんです!
『The Last of Us Part II』を遊んだのは約1年前…。
前作の『The Last of Us』をプレイ後すぐに遊んだ今作でしたが、旅路を思い出すのが辛すぎて、感想を書けない状態におちいっておりました。
いくらなんでも記憶が薄れてるぜ…
ね…なんだかんだで記憶が薄れまくって良い感じになっております。心は傷つかない!
でもプレイ後に感想を書いたほうがよかったのかもしれない。ま、しょうがないや。
「死ぬまでに遊ぶゲームリスト」にいれてほしい
まず、わたしがこの記事で一番に伝えたいことはこれだ!
ラスアスシリーズはやったほうがいい、ただそれだけ、だ!1を遊んだら2も遊んでほしいんだ!
まだ遊ばずにこの記事を見ている人!
この記事はネタバレをしまくっているので、今すぐそのスマホを閉じて、プレステを起動して、遊ぶんだ!
あと
1遊んでないけど2先に遊びたいからやっちゃおうかな~(ふわふわ)
と思っていた過去のわたし!
絶対にやってはいけん!前作を遊ぶのは大前提だ!1があるから2があるのだ!ナンバリングというのはそういうもんじゃ!
いますぐ!1も!2も!遊ぶのだ!なんの心配もいらない!とにかく遊べばいいだけ!言いたいことはそれだけだ!
ということで、ここからはネタバレしまくって感想をだらだらと綴っていきます~
廃墟から感じるストーリーに関して
前作同様、『The Last of Us Part II』も廃墟が一番の見所といっていいのではないでしょうか。
ストーリーよりもゾンビよりも戦闘よりも!なによりも廃墟!
こんなに美しい廃墟を自由に歩き回れるというだけで、この作品を遊ぶ価値があります。
ただ、前作よりも廃墟に漂っていた物語は薄まったなという印象。
人が住んでいたような気配がかなり消滅した感じです。
前作では小さめの建物を探索することが多く、人々が生活していた時の空気を辿ることがとても楽しかったんですよね。
今作は大きな建物や場所をぐるりと歩き回ったり馬で駆け巡ることが多かったです。
そのためひとつひとつの小さな空気を感じて探索する、というよりも現実の探索(散歩?)により近づいたという感じですかね。
というよりも、小さな空気なんて感じることがないほど世界が完成されていたんですよね。なんだかあまりにも完璧で心配になるほどです。
わたしたちは普段生活している時に、目の前に存在する数えきれない物体を特に意識することなく、その物体たちがそこにある状態を世界だと、無意識に納得して生活していますよね(突然なんや)。
だから「このティッシュはここにあるんだ」「目薬が倒れてる」「陽の光がカーテンを通すことによって柄の影を作るね」「このやかんの表面は部屋をうつしだしているなあ」なんて考えないですよね。
でもゲームの中のわたしはこういうことをたくさん考えてしまいます。
ゲームに全く関係がない部分に惹きつけられてしまうのです。
でも今回はあまりにも世界が本物のようで、家の周りを歩いている時と同じような感覚で歩いてしまいました。些細な物体の空気に気づけないんです。
思わず没入しちゃう。だからこそ物語と敵の気配に没頭できるのです。
それが心地よいところでもあり、精神が削られてゆく原因にもなっているんですけどね。
素人目線でさらにお伝えすると、キャラクターの操作性も自然で気持ちが良かったー!行きたい場所へ行けるし、登りたい場所に登れます。
普通だと思うでしょう。普通じゃないんですよ。
日常を営んでいる中で体を動かす時って、自分が可能な範囲の能力を無意識に計算して「この柵は飛び越えられるわ」とか「ここは登れるかな」という考えに及んでから実行しますが、『The Last of Us Part II』の中でもその感覚が通用します。繊細なところまで、開発に手が行き届いているのです。
かゆいところに手が届くってやつー!
発売当初、よく話題にのぼっていたロープを使う動作もそのひとつです。
「このロープをこの扉に引っかければ登れるかもしれないな」という思惑を見事に実現できるんですよう!
反対に「え、回り道しなくたってこの柵飛び越えちゃえばいいじゃんよ…」
とかいうあるあるなこともないんですよ。そこ、飛び越えられます(わーい!)。
ちなみに崖は登れない。普通の人間は崖なんて登れないんですよ。
というところがね、ゲームへの没入感を加速させておりました。そういうところがね、とっても良かったし気持ちよかった。
ジョエルが殺されたことはしょうがないと思った
『The Last of Us Part II』は「復讐の物語」ということは知っていたので、一体誰が殺されるんだろうと考えながらプレイしていました。
ジョエルは前作で人を殺しまくりましたからね…。
今作の紹介トレイラーではジョエルはバリバリ生きて活躍していたので死なないんだなあ、と思っていました。
だったらディーナ?ディーナ死んじゃうの?えええ…ディーナなのか…なんて考えていたら、生きてる感じだったジョエルが死んでしまった。なんてこった。
でもやっぱりそうだよなあと納得感しかなかったです。
「復讐は復讐を呼ぶ」はお決まりすぎる文句ですが、自分にとって大切な人や場所をズタズタにされた悲しみは、やはり想像を絶する苦しみなんだということが分かります。
ラストオブアスシリーズは結局、ずっと復讐の話をしているんですよね。
アビーから最後の一撃をお見舞いされようとしているジョエルのシーンは、衝撃的でした。
すでに血まみれで目も十分に開くことができないぐらいゴルフクラブで殴られまくっていたジョエルですが、助けにきたエリーと一瞬だけ目が合うのです。
その時ジョエルの瞳には、エリーだけが映っていた。エリーは彼の人生そのものだったんですよね。
ジョエルの人生を思い返してみると、悲しみと暴力に満ち溢れた日々で固められたような道を歩んできたわけです。
エリーを守るためにたくさんの(まじでたくさんの)人間やゾンビを殺してきたけれど、人殺しなんてさ、本来ならしたくないですよ(たぶんね)。
ジョエルが殺されたあと、形見を取りに行く名目でジョエルの家を探索できるのですが、室内の質素さにわたしは胸を打たれてしまいました。懺悔にしか見えなかったからです。
必要最低限のコップとお皿、小さな石鹸。日がやわらかく差すテーブルで、彼は毎日どんなことを考えながら過ごしていたんだろうか。
目の前で殺されたひとり娘の写真と、エリーの写真、あと弟の写真も飾ってありました。ジョエルの大切な人たちです。
たくさんの血と、たくさんの悲しい涙しかないような日々を送ってきたジョエルにとって、特にエリーの存在というのは本当に、唯一の光みたいな存在だったんですよ。
前作では「エリーを犠牲にして抗体を作るための旅」をして、最後は抗体よりもエリーを助ける選択をしたジョエル。誰になんと言われようが、彼の中ではこれ以外にはありえない選択でした。
『The Last of Us Part II』で垣間見える、エリーとジョエルが2人で過ごす回想シーンやジャクソンでの生活を見ると、ジョエルの選択は間違っていなかったんでしょう。
だってエリーがちゃんと生きて、笑って、恋をしているんだもの。そんな姿を見守ることができてジョエルは心から幸せだったと思います。それだけでもう「よかった」。
だから死ぬ前にエリーを見つめたそのまなざしは、全てを受け入れたように見えたんですよね。
「立ってよ なにやってんの!」と泣き叫ぶエリーと、消えそうな命の中でただエリーを静かに瞳に映しているジョエルが対称的で、心をかき乱されました。
それにしてもジョエルは自分の人生をきちんと歩んだ人だったなあと感じます。どんな時でも自分の頭で考えて決断をするジョエルを尊敬していました。
でも、もう少しエリーの成長を見てほしかったなあと、残念で悲しい気持ちになります。
アビーをプレイできてよかったよね(だが苦しい)
まさか敵のアビーをプレイするなんて思いもしておらず、初めは戸惑いしかありませんでした。
けれど、けっきょく主人公のエリーとおんなじぐらい長ーい旅を共にすることになります。
エリーのことは前作からずっと見てきているのでアビーに感情移入なんてするもんかと思っていたんですが、途中からはどうしてよいのか分からないぐらいアビーのことも大好きになっている自分がいました。
というか、むしろアビーのほうが真っ当な人(そもそも真っ当とは…)で愛しいキャラクターでした。
アビーは父親をジョエルに殺されて以降、体型が戦闘仕様に変わるぐらい心と体がイメチェンするのですが、それでもかなり温厚な人なんだなということがアビーをプレイすることで分かってきます。
ちなみにアビーは医者のお父さんに大切に育てられ、パンデミック後とは思えないような平和な日々をずっと送ってきたようです。
両親のことを知らず、感染と犯罪がはびこる隔離地域でずっと暮らしてきたエリーの人生とは、対照的に描かれているのが見所でした。
筋肉ムキムキ!で心は優しいアビー。実はエリーの命を二度も助けて(見逃して)いるんですよね。
ジョエルが殺したシーンでエリーのことも殺そうとしている仲間たちを尻目に、アビーは見逃します。
あとはディーナと共にエリーが瀕死の状態にされた時。ここでもアビーは最後の一撃を振り下ろさずに見逃しています。
もうね、心の葛藤と戦いまくるアビーがわたしは愛しくてたまらん。涙なしでは彼女の行動は見れないです。
敵だったアビーのことをいつのまにかめちゃんこ好きになっちゃった
余談
長い髪を三つ編みで一つ結びしているの髪型がとても良かったです。
三つ編みは可愛い髪型の最高峰ですが(個人的なランキング)、そもそも髪を細く綺麗に束ねることができるので、実はかなり実用的な髪型なのです。セラファイトの女性も三つ編みで髪をまとめているのが分かります。
最後の選択は長い長い旅の終着地点
エリーがアビーを殺さなかったという衝撃の最後でしたが、かなりの名シーンだったのではなかろうか。
わたしはエリーの気持ちが痛いほどわかって、わんわん泣いてしまいましたわ。
アビーの首を絞めている間、エリーの頭の中では穏やかな表情でエリーの話を聞いてくれているジョエルを思い出しているんですよね、何度も何度も、首を絞めている間、ずっと。
もうこの時点でエリーはアビーを殺せなくなってたのです。あまりにも復讐の旅が長すぎた。
たくさんの人間やゾンビを殺して、いろんな人に出会い、決断や心の動きを見てきたことで「この旅に終わりなんかない」ということが分かってしまったのでしょう。
ちなみにアビーはとっくのとうにその境地にたどり着いておりまして、最後のシーンでも始めはエリーに無抵抗でした。
父親や唯一の理解者だったオーウェンもたくさんの仲間もみーんなエリーに殺されたにも関わらず(だからこそ?)、「もう殺し合いで終わりにするのはやめよう、別々に生きていこう」と意志を強く持っております。
エリーと同様、アビーの旅も長かったのです。
エリーの最後の決断を後押ししたのは、ジョエルからたくさんもらってきた優しさ。あと理性ですかね。
小さな理性が打ち勝つシーンというのは、わたしは大好物なのです。人間って弱い生き物だけれど、理性があるのです。ほんとにね、名シーンです…。
大切な人を殺されたら、理性なんてたちまち吹き飛んで相手をこの手で殺しにいくのだろうか。
わたしの母親は「かおちゃん(わたしのこと)が殺されたら、わたしは捕まってもいいから絶対に復讐しにいく」とよく言ってました(どんなシチュエーションで言ってたんだろこれ…)
でももしわたしが誰かに殺されたとしても、復讐なんて望まないんですけどね。
どんなに苦しんで死のうが、そんなことはどうだっていいんです。わたしのことをいつも考えてくれている大切な人たちの心の中を、復讐の気持ちで満たしてほしくなんかない。
殺されたことはわたしの人生の中では本当にちっぽけなことだから、そんなこと、もう忘れてほしいなあ。
ただ、わたしがあなたと一緒に生きてきた時間だけを心に残して、そして幸せになってほしいって心から思います。
といってもね!やっぱり復讐を誓ってしまうんだろうなあ。ここらへんは、もう少し勉強と経験が必要なのでしょう。
それでも理想を語りたい。あと、ただ幸せを願っていたいです。
終わりに
『The Last of Us Part II』で体験した繊細な手触りをうまく言葉に変換できない気がする…と鬱々としながら記事を書きました。
結局わたしはこの記事で何を伝えたかったのだろうかと考えたのですが、書いても書いても分かりませんでした(まじか)。
でもエリーとアビーの旅は辛く、美しい道のりだった。それは分かる。
殺して殺されて、憎んで憎まれて、死んだ人も昨日も戻ってこないけれど、それでも明日は変わらずにくる、みたいなことをこの作品を通じて感じたんだと思います。
ストーリーを進めば進むほど悪い方向へ深く足を踏み入れているのが分かっている、のに進まなければいけなくて、
途中で何度も「もうやめよう」と思いながらも、どうにか踏ん張って最後のシーンまで来ました。エリーの心情も全くおんなじだったと思います。
もう人殺しも憎しみも、誰かを失うのもうんざりなんですよ。
夕日がきれいだねって大切な人と景色を眺める日常を送りたいだけなんです。
もし現実でもパンデミックが起こって世界が崩壊した時、わたしたちはこの作品とまったくおんなじような過ちを犯しながら、それでも優しい世界を構築できるんですかね。
あとアビーが生きてくれてよかったなあと心から思います。
エリーが殺すことをやめたから、アビーが生きてる。あんなにたくさんの人間を殺してきたのに。アビーを殺すために旅してきたのに。
許せないけれど許す。許してないけど、手放す決断をしたふたり。
それは大切な人や思い出がなんの形も変わらずにあるからなんですよね。そして失うものがあまりにも多すぎた。人生は続いていくのです。
ふたりとも長く暗くて終わりなんてないような旅を経験したからこそたどり着いた場所。
どうかふたりが安らかで穏やかな日々を送れますように。(ゾンビと戦いつつも)毎日ぐっすりと眠ることができますように。
しかし開発陣もよくこんなところまで物語を描ききったなあと関心します。
妥協なく最後の一滴まで突き詰めてやりきったぜ感があります。たくさん悩んだんだろうなあ。
ひとつの作品を作り上げるというのは果てしないし、尊いことです。
今回も作品にたずさわった人たちに、抱えきれない感謝と尊敬を。
素晴らしい作品を遊ぶことができて生きてて本当によかったです。最高の作品でした。
旅の思い出スクショ
2,604枚のスクショから大好きな思い出たちをおすそわけ!
最後までお付き合いいただきありがとうございます!
しかしエリーが座り込むシーン…見事としか言いようがないですなあ。
実は、セラファイトという宗教団体(といっていいのだろうか)に関してもつづりたいことがあったり、エリーとジョエルの関係についてももっと深掘りしたいのです。まだまだ書き足りないのですが、それと同時にこの作品をもう手放したいという思いが強くありますので、ここで終わり!
エリーとジョエルの関係については下記の記事がとても良いです。
初代『The Last of Us』や映画作品から考える、父と娘の関係を描くことの困難と意義
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